
叱る時のキーワードは、「ち・し・き」
こんにちは、山崎です。
私が、「ほめる」「ねぎらう」「みとめる」の「ほ・ね・み」の事をいうと…
「じゃ、山崎さんは、ずっと人をほめてばかりなのですか?」
と聞かれる時があります。
はい!
と、答えたい所ですが…
当然、仕事上では、叱ったりする時も多いです。
でも、叱るときも私なりにキーワードを持っています。
叱る時は、「ち・し・き」で!
「ち・し・き」って、聞いたことないゾ!って、思われる方がほとんどではないのでしょうか?
私が、「ほめる」「ねぎらう」「みとめる」の「ほ・ね・み」の事をいうと…
「じゃ、山崎さんは、ずっと人をほめてばかりなのですか?」
と聞かれる時があります。
はい!
と、答えたい所ですが…
当然、仕事上では、叱ったりする時も多いです。
でも、叱るときも私なりにキーワードを持っています。
叱る時は、「ち・し・き」で!
「ち・し・き」って、聞いたことないゾ!って、思われる方がほとんどではないのでしょうか?
「ほ・ね・み」の時の小冊子に載せていなかったので、ほとんどの方が知らないはずです。
叱る時の「ち・し・き」とは…
ち → ちがい
し → しめす
き → きづかせる
「違いを示して、気づかせる」ことの、頭文字をとっています。
私は、こういう頭文字をとって、言葉遊びをするのが好きなので…
例えば、部下を叱る時でも、「違いを示して、気づかせる」というコンセプトがなければ、ただ感情的に怒っているだけになってしまいます。
感情的に怒っても… あまり効果がありません。
また、叱る時は「ち・し・き」とすると…
感情に任せて叱るのではなく、
「ちしき」… 何やら知的な感じです。
子供や部下を叱るのも、ヤミクモに叱るのではなく、
よく目的を考えて、頭を使って… という意味も込めています。
どうして、叱られているのか?を分からせないと…
どうして、自分が叱られているのかを理解してもらえないと、叱っている意味がありません。
叱られる時というのは、何か基準からズレている時です。
それは、マナーかもしれませんし、
職場のルールかもしれませんし、
怠慢を叱られているのかもしれません。
だから、叱られている本人に、ズレていること=ちがいを分からせることが、極めて大事です。
ちがいを、具体的にしめせないとダメです。
叱られる本人は、そのちがいが分かってないから、ズレるのですから…
分かっていないという前提で、叱るということを考えた方が、良い結果がでます。
「これぐらい知っていて当たり前やん」と感じているのは、叱る側の論理です。
この違いを示すことが「叱る」ことだと、私は考えています。
「ほねみ」が大切だからといって…
「ほねみ」は、大切なことです。
しかし、「ほねみ」の表面的な意味にとらわれて、
相手を叱るべき時に叱らないのは、
相手にとっても、自分にとっても、いいことではありません。
本気で相手に向き合った時…
必要であれば、ほめるだけではなく、叱る事も大切です。
そんな時は、「ちしき」を思い出してください。
自分の感情のはけ口として叱るのではなく、
相手が、何か基準からズレてしまっているから、
叱るのだと思います。
相手の軌道修正をするのが、叱ることの目的ですから、
そこには、「ちしき」のコンセプトがいるのです。
私はこのような事を考え、
部下を指導したり、選手をコーチしていました。
※ ほねみのページ
叱る時の「ち・し・き」とは…
ち → ちがい
し → しめす
き → きづかせる
「違いを示して、気づかせる」ことの、頭文字をとっています。
私は、こういう頭文字をとって、言葉遊びをするのが好きなので…
例えば、部下を叱る時でも、「違いを示して、気づかせる」というコンセプトがなければ、ただ感情的に怒っているだけになってしまいます。
感情的に怒っても… あまり効果がありません。
また、叱る時は「ち・し・き」とすると…
感情に任せて叱るのではなく、
「ちしき」… 何やら知的な感じです。
子供や部下を叱るのも、ヤミクモに叱るのではなく、
よく目的を考えて、頭を使って… という意味も込めています。
どうして、叱られているのか?を分からせないと…
どうして、自分が叱られているのかを理解してもらえないと、叱っている意味がありません。
叱られる時というのは、何か基準からズレている時です。
それは、マナーかもしれませんし、
職場のルールかもしれませんし、
怠慢を叱られているのかもしれません。
だから、叱られている本人に、ズレていること=ちがいを分からせることが、極めて大事です。
ちがいを、具体的にしめせないとダメです。
叱られる本人は、そのちがいが分かってないから、ズレるのですから…
分かっていないという前提で、叱るということを考えた方が、良い結果がでます。
「これぐらい知っていて当たり前やん」と感じているのは、叱る側の論理です。
この違いを示すことが「叱る」ことだと、私は考えています。
「ほねみ」が大切だからといって…
「ほねみ」は、大切なことです。
しかし、「ほねみ」の表面的な意味にとらわれて、
相手を叱るべき時に叱らないのは、
相手にとっても、自分にとっても、いいことではありません。
本気で相手に向き合った時…
必要であれば、ほめるだけではなく、叱る事も大切です。
そんな時は、「ちしき」を思い出してください。
自分の感情のはけ口として叱るのではなく、
相手が、何か基準からズレてしまっているから、
叱るのだと思います。
相手の軌道修正をするのが、叱ることの目的ですから、
そこには、「ちしき」のコンセプトがいるのです。
私はこのような事を考え、
部下を指導したり、選手をコーチしていました。
※ ほねみのページ
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